わたしの哲学入門

哲学は頭の体操


Posted on Mon, Jan 9, 2017
Tags philosophy, thinking, book

一文で説明すると…?

哲学を学ぶ上で、ある哲学者の思想を理解し、その上で他の哲学者の思想を比較することが重要と考えた哲学者の木田元さんがどのようにハイデッガーを知り、そして哲学を学んだのかをつづった書籍。

背景

僕は昔から哲学に興味があり(理解はしていない)、抽象的なことや答えの出ないであろうことを考えしまう癖があります(要は偏屈なのです)。そんな僕がとあるアニメを見ていた際に出てきた 「人間は根源的に時間的な生き物である」 というハイデッガーの言葉の背景が気になり、ハイデッガーの哲学を学ぶ入門書と思って、木田元さんの書籍を読んでみました。

この本の著者で哲学者の木田元さんは、ハイデッガーやフッサールの思想を平易な日本語(でも難しい)でつづった書籍などで有名な方です。2014年に亡くなられたとき、NHK Webのトップで訃報が伝えられたのが印象的でした。

この本はタイトルの通り、木田元さんが哲学をどう学んできたのかが記されています。ただ、木田さんが研究対象としてきた哲学者を中心に説明しているため、哲学全般の入門書というわけではないです。またこの書籍はもともと連載記事だったものから構成されているため、話ごとに時間軸が前後したり、初学者には用語の説明が不十分と思える箇所があるかなという感想を持ちました。

とは言っても、当時の哲学学習の困難さや木田さんがどのように言語(ドイツ語、ギリシャ語、フランス語)を学んだのかが記されており、哲学を知るというところ以外で学びがありました。

前置き:世間でいう「哲学」 ≠ 学術的な哲学

さて、本の内容に入る前にあらかじめお伝えしておくと、 学術的な哲学は一般的に実践で役立つようなものではありません

世でいう「企業哲学」や「人生哲学」は行動の指針を与えるものですが、学術的な哲学は行動の指針を与えることは基本的にありません。僕が読んで理解している限りでは、学術的な哲学は数学と同じく__ある仮定を置いた上で、次々と世の事象を_論理的に_とき解いていく__ものだと思っています。 哲学である主張を証明するためには、厳密な定義付けをした言葉を使う必要があります。これは数学で記号を使うようなもので、そのため哲学が理解しにくいものになっているような気がします。

僕なりの哲学の楽しみ方は、「その発想はなかった!」という新しい概念の獲得だったり、人間の理性では捉えられないもの(SFでよく出てくる、あれ)を考えたり、あれこれと(数独のように)考えを練ることだったりします。 もちろん、楽しみ方は人それぞれだと思いますので、ご興味のある方はぜひご自身の楽しみ方を見出して頂ければと思います。

内容をかいつまむと

哲学にとって重要な問い<神の存在証明>と「なぜ万物は存在するのか?」

哲学にはいくつか代表するような問いがあり、特に中世のヨーロッパでは宗教上の理由から<神>が存在していることをいかに示すかということが学者の中で活発に議論されていました。当時は<神>は存在しているのが前提だったのですね。

この<神の存在証明>は中世にかけていくつか代表的な証明が考え出されました(例:「<神>は<全能>である。すなわち、肯定的なものをすべて含む。これに<存在>という肯定的な規定も含まれるため、<神>は<存在>する」)が、それらを否定して 論理的(理性的)に<神>が存在することを証明することはできない としたのは、『純粋理性批判』でも有名なカントでした。

そこで、人間が古代より考えてきた重要な問いが再び議論になります。その問いは、「なぜ万物は<存在>するのか。そもそも<存在>するとは何なのか?」でした。これに対して、新しい存在論を打ち立てたのがハイデッガーでした。

現存在、存在了解、世界内存在

ハイデッガーはそれまでの人間がどのように<存在>を認識しているのか、という認識論から離れ、あくまで<存在>に着目した存在論を主張しています。

特にその中でも<存在>を生み出すものである、<現存在>に着目を置きました。 と書くと ? となりますが、例えば、熱と熱さの関係で考えるとわかりやすいかもしれません。熱は熱さを生み出しており、熱がなければ、熱さは生まれません。つまり、<現存在>は<存在>に先立っており、<現存在>があるから、<存在>があると考えます。 これを「<現存在>が<存在>を了解するときのみ、<存在>がある」という<存在了解>あるいは<存在企投>と呼びます。

このとき、よく(この書籍の中でも)「現存在 = 人間」と説明されていますが、僕は<現存在>は人間にかぎらず、<存在>を生み出すことができる宇宙人(あるいは地球上の動物でも)がいれば、それも<現存在>なのかなと思ったりしています。

さて、ここからさらにややこしいのですが、ハイデッガーは虫のような生き物を<現存在>としていません。なぜなら、虫は現時点での刺激しか反応できず、過去や未来、あるいはあったかもしれない別の環境や<存在>を理解できないからです(実際はどうなのか虫に聞かないと分かりませんが)。 一方で、人間を含む <現存在>は現時点で認識している環境や<存在>以外について理解できる (これを<超越>と呼ぶ)ことから、<世界内存在>と呼んでいます。 ここでいう<世界>は、<現存在>が認識しているものすべてであり、<現存在>はいついかなるときも<世界>の中で活動している事になります。

そのうえで<神の存在証明>に戻ると…?

話を巻き戻して、<神>が<存在>するのかどうかという<神の存在証明>が証明できないのは、熱と熱さの関係ので例えると、「熱がある → 熱さがある」とは言えるかもしれないが、じゃあ そもそも熱とか熱さとかって何なの? ということに答えを出していないからです。 つまり、「神は全能である → 神は存在する」というように言っても、全能や存在って何なの? ということについて答えが導かれていないことになります。

ハイデッガーはこの議論について、「鶏か卵かの話ではなく、鶏と卵についての話をしよう」と述べたといいます。

人間は根源的に時間的な生き物である

以上の点から、この本を読んだきっかけに立ち返りますと、人間(∈ {現存在})は<存在>を<了解>する生き物で、<了解>の過程で<存在>よりも<時間>的に前に存在することになり、これをもってハイデッガーは、 人間は根源的に時間的な生き物である と呼んだと言えます。

そこで多くの方は思ったことでしょう、 「だから何なんだ(結論)」

余談:哲学はなぜ難しいのか

冒頭でも述べたように哲学は厳密な定義付けをした言葉や造語を使います。またもともと外国語だった言葉が翻訳されて日本語になっているため、より一層馴染みのないものになっています。さらにさらに、その言葉の定義も哲学者や著作によって異なったりします(ある書籍の中では一貫した定義であっても)

哲学は理解したと思ったら霞だったと言われたりしますが、この言葉のややこしさがその一因としてある気がします。(厳密にこうだ! と平易な日本語で記述されている辞書があればよいのですが…)

参考図書

特に「面白いほど分かる!哲学の本」は、初学者に圧倒的にオススメな本です。kindleでなんと 90円ながらも体系的、しかも噛み砕いて、哲学全般を把握することができます。まずはこれを読んでから、例えば「ハイデガー哲学入門」のような各哲学者の入門書を読んでみることをオススメします。

*(数学の世界でも同様ですが)入門書と呼ばれるもの中には、初学者では難しい内容のものがありますので、一度立ち読みした上でご購入を検討されてみてください。

参考URL