わたしの哲学入門

一文で説明すると…?

哲学を学ぶ上で、ある哲学者の思想を理解し、その上で他の哲学者の思想を比較することが重要と考えた哲学者の木田元さんがどのようにハイデッガーを知り、そして哲学を学んだのかをつづった書籍。

背景

僕は昔から哲学に興味があり(理解はしていない)、抽象的なことや答えの出ないであろうことを考えしまう癖があります(要は偏屈なのです)。そんな僕がとあるアニメを見ていた際に出てきた 「人間は根源的に時間的な生き物である」 というハイデッガーの言葉の背景が気になり、ハイデッガーの哲学を学ぶ入門書と思って、木田元さんの書籍を読んでみました。

この本の著者で哲学者の木田元さんは、ハイデッガーやフッサールの思想を平易な日本語(でも難しい)でつづった書籍などで有名な方です。2014年に亡くなられたとき、NHK Webのトップで訃報が伝えられたのが印象的でした。

この本はタイトルの通り、木田元さんが哲学をどう学んできたのかが記されています。ただ、木田さんが研究対象としてきた哲学者を中心に説明しているため、哲学全般の入門書というわけではないです。またこの書籍はもともと連載記事だったものから構成されているため、話ごとに時間軸が前後したり、初学者には用語の説明が不十分と思える箇所があるかなという感想を持ちました。

とは言っても、当時の哲学学習の困難さや木田さんがどのように言語(ドイツ語、ギリシャ語、フランス語)を学んだのかが記されており、哲学を知るというところ以外で学びがありました。

前置き:世間でいう「哲学」 ≠ 学術的な哲学

さて、本の内容に入る前にあらかじめお伝えしておくと、学術的な哲学は一般的に実践で役立つようなものではありません

世でいう「企業哲学」や「人生哲学」は行動の指針を与えるものですが、学術的な哲学は行動の指針を与えることは基本的にありません。僕が読んで理解している限りでは、学術的な哲学は数学と同じくある仮定を置いた上で、次々と世の事象を論理的にとき解いていくものだと思っています。
哲学である主張を証明するためには、厳密な定義付けをした言葉を使う必要があります。これは数学で記号を使うようなもので、そのため哲学が理解しにくいものになっているような気がします。

僕なりの哲学の楽しみ方は、「その発想はなかった!」という新しい概念の獲得だったり、人間の理性では捉えられないもの(SFでよく出てくる、あれ)を考えたり、あれこれと(数独のように)考えを練ることだったりします。
もちろん、楽しみ方は人それぞれだと思いますので、ご興味のある方はぜひご自身の楽しみ方を見出して頂ければと思います。

内容をかいつまむと…

哲学にとって重要な問い<神の存在証明>と「なぜ万物は存在するのか?」

哲学にはいくつか代表するような問いがあり、特に中世のヨーロッパでは宗教上の理由から<神>が存在していることをいかに示すかということが学者の中で活発に議論されていました。当時は<神>は存在しているのが前提だったのですね。

この<神の存在証明>は中世にかけていくつか代表的な証明が考え出されました(例:「<神>は<全能>である。すなわち、肯定的なものをすべて含む。これに<存在>という肯定的な規定も含まれるため、<神>は<存在>する」)が、それらを否定して論理的(理性的)に<神>が存在することを証明することはできないとしたのは、『純粋理性批判』でも有名なカントでした。

そこで、人間が古代より考えてきた重要な問いが再び議論になります。その問いは、「なぜ万物は<存在>するのか。そもそも<存在>するとは何なのか?」でした。これに対して、新しい存在論を打ち立てたのがハイデッガーでした。

現存在、存在了解、世界内存在

ハイデッガーはそれまでの人間がどのように<存在>を認識しているのか、という認識論から離れ、あくまで<存在>に着目した存在論を主張しています。

特にその中でも<存在>を生み出すものである、<現存在>に着目を置きました。
と書くと ? となりますが、例えば、熱と熱さの関係で考えるとわかりやすいかもしれません。熱は熱さを生み出しており、熱がなければ、熱さは生まれません。つまり、<現存在>は<存在>に先立っており、<現存在>があるから、<存在>があると考えます。
これを「<現存在>が<存在>を了解するときのみ、<存在>がある」という<存在了解>あるいは<存在企投>と呼びます。

このとき、よく(この書籍の中でも)「現存在 = 人間」と説明されていますが、僕は<現存在>は人間にかぎらず、<存在>を生み出すことができる宇宙人(あるいは地球上の動物でも)がいれば、それも<現存在>なのかなと思ったりしています。

さて、ここからさらにややこしいのですが、ハイデッガーは虫のような生き物を<現存在>としていません。なぜなら、虫は現時点での刺激しか反応できず、過去や未来、あるいはあったかもしれない別の環境や<存在>を理解できないからです(実際はどうなのか虫に聞かないと分かりませんが)。
一方で、人間を含む<現存在>は現時点で認識している環境や<存在>以外について理解できる(これを<超越>と呼ぶ)ことから、<世界内存在>と呼んでいます。
ここでいう<世界>は、<現存在>が認識しているものすべてであり、<現存在>はいついかなるときも<世界>の中で活動している事になります。

そのうえで<神の存在証明>に戻ると…?

話を巻き戻して、<神>が<存在>するのかどうかという<神の存在証明>が証明できないのは、熱と熱さの関係ので例えると、「熱がある → 熱さがある」とは言えるかもしれないが、じゃあそもそも熱とか熱さとかって何なの? ということに答えを出していないからです。
つまり、「神は全能である → 神は存在する」というように言っても、全能や存在って何なの? ということについて答えが導かれていないことになります。

ハイデッガーはこの議論について、「鶏か卵かの話ではなく、鶏と卵についての話をしよう」と述べたといいます。

人間は根源的に時間的な生き物である

以上の点から、この本を読んだきっかけに立ち返りますと、人間(∈ {現存在})は<存在>を<了解>する生き物で、<了解>の過程で<存在>よりも<時間>的に前に存在することになり、これをもってハイデッガーは、人間は根源的に時間的な生き物であると呼んだと言えます。

そこで多くの方は思ったことでしょう、「だから何なんだ(結論)」

余談:哲学はなぜ難しいのか

冒頭でも述べたように哲学は厳密な定義付けをした言葉や造語を使います。またもともと外国語だった言葉が翻訳されて日本語になっているため、より一層馴染みのないものになっています。さらにさらに、その言葉の定義も哲学者や著作によって異なったりします(ある書籍の中では一貫した定義であっても)

哲学は理解したと思ったら霞だったと言われたりしますが、この言葉のややこしさがその一因としてある気がします。(厳密にこうだ! と平易な日本語で記述されている辞書があればよいのですが…)

参考図書

特に「面白いほど分かる!哲学の本」は、初学者に圧倒的にオススメな本です。kindleでなんと 90円ながらも体系的、しかも噛み砕いて、哲学全般を把握することができます。まずはこれを読んでから、例えば「ハイデガー哲学入門」のような各哲学者の入門書を読んでみることをオススメします。

*(数学の世界でも同様ですが)入門書と呼ばれるもの中には、初学者では難しい内容のものがありますので、一度立ち読みした上でご購入を検討されてみてください。

参考URL

人生の目標は「自分を満足させること」

この記事は20年以上生きて感じた個人の見解です。万人に当てはまる考え方ではないかもしれません

背景

長らく生きていると「自分は何で生きているんだ」とか、「あれ、いま何したらいいんだっけ?」と感じることがあります(ないという方は素晴らしい人生を送られて何よりです)。
特に何か辛いことがあったり、漠然と不安を抱えることがあったり、何か大きな決断を求められることがあった場合に、自分の人生の意味について考えることがあります。そんなとき、僕の中での解釈が最近まとまってきたので、それについてまとめておこうと思います。

人生に成績はない

僕個人の見解ですが、人生に絶対的な良し悪しはないと思います。仮に、歴史に名を残した人(学者やアスリート、音楽家など)が良い成績だったとして、では、当の本人は「良い人生だった」と思っていたのでしょうか。
もちろん、中には「わが人生に一片の悔いなし」という人もいたでしょうが、良い成績と本人の気持ちは必ずしも一致しません。

逆に言えば、歴史に名を残していない人も「良い人生だった」と思えれば、それは本人とって良かったと言えるのではないでしょうか。つまり、何をやったかではなく、本人が満足できたかが生きる上で最重要なものとなります。

自己中心主義を肯定するのか?

この論理で言うと、極端な話、例えば快楽で人を殺す人物を肯定するのかとなりますが、ここが難しいところです。同じく本人が満足していれば自殺や安楽死を肯定するのかとなりますが、論理的には「本人が満足しているのであればどうしようもない」という結論になります。

そのため、快楽殺人の場合は本人の満足のために人が殺されないよう治療を行う、自殺・安楽死の場合は、死ぬという手段以外で本人を満足させる方法を見つける必要があります。

それでも、本人が殺す・死ぬ以外に自分を満足させる方法がないのであれば、本当にどうしようもないのですが、それでは周囲の人の満足(幸せ)が損なわれます。そのため、法律で当人の自由を奪うという手段を取り、またそうならないような教育を行うのです。しかし、その手段が機能しなかった場合に発生するのが犯罪なのでしょう。

またこの考えを突き詰めていくと、自己中心主義を助長すると思われるかもしれません。しかし、例えば自分がやりたいと思う & 他人はしてほしくないことをを行った結果、他人(警察などの組織も含め)から何かしらの制約(周りから無視される、拘束される)が与えられます。その結果になることを想定した上で満足できるのかというとどうでしょうか。

自分を満足させるために生きる

人によっては(僕もそうですが)、「他人に迷惑をかけたら」とか「他人に笑われたら」とか考えてしまいがちです。そんなときには、「その結果で自分が納得できればいいんだ。別に人生に成績はないんだし」という発想をすると楽になることがあります。
もちろん、実際に迷惑をかけることも、笑われて恥ずかしい思いをすることもありますが、それでもそんな自分自身を(無理矢理にでも)満足できれば、それは人生の目標に近づきます。

何に満足するかは考え方で変わる

ここまで読まれた方には、「じゃあ、どうしたら自分自身を満足させられるんだ?」と疑問に持つ方がいらっしゃるでしょう。万能な答えがあれば良いのですが(そんなものがあればすでに人類のバイブルになっているはず)、これは個人によって解決策が異なります。

しかし、一般的に有効な解決策はあると思っています。それは、自分の考え方を変えることです。

例えば、今の仕事に満足していない場合は、職場を変えるという選択もありますが、それと同じくらい自分の考え方を変えてみるのも大切です。

「確かに自分のやりたいことではないけど、でもここの能力を養えたら今後良いことがあるんじゃないのか」
「失敗したけど、これは飲み会のいい話の種になるな」
「笑われたけど、みんなが笑ったならいいか」

そう考えてみて、自分が満足できればオッケーなのです。ただ、これをやりすぎてしまうと、自分の正直な気持ちを失いがちになるため、乱用は危険でもあります(万能な解決策ではない)。
そんなときには、環境を変えるなどの行動を起こすことも重要です(こちらも万能ではない)。

最後に

ここまでの話から言えるのは、生きている中でもし自分が満足できるものを見つけられたら大切にしようということです。
それは他人から理解を得られなかったり、照れくさかったりするものでも、「自分を満足させることが人生の目標」である以上、それは自分にとってかけがえのないものになりますから。

おすすめの本

僕が読んでいて自分の発想が変わったな、と感じた本を紹介します。
繰り返しになりますが、万能な解決策はありません。ただ、人によってはお役に立てれば幸いです。